自民党、一時金による最終決着案

水俣病未認定患者の自民党最終決着案

----------------------------------------------------------------------

1995年、村山政権は水俣病未認定患者10353人に2万6千円ずつ支給し、水俣病を終わらせようとした。しかし、不知火海沿岸の2万人が水俣湾として何らの補償も受けておらず、患者は政府を見切り、司法に救済を求め、連戦連勝した。最高裁判決で、環境行政の不作為が指摘された。このため、今回、自民党は、村山政権の半額以下、一人平均50~100万円で、水俣病を最終決着を図ることになった。しかし、今後の選挙次第では、この案が葬り去れる場合もある。以下、地元の新聞より。 ------------------------------------------------------------------------------ 水俣病未認定患者の新救済策を検討する自民党水俣病問題プロジェクトチーム(園田博之座長)は2007年7月3日、水俣病の代表的症状である手足(四肢末しょう優位)の感覚障害がある人たちを「広く水俣病の被害者」と受け止めて救済対象とした。環境庁の認定基準を緩和する方針である。その上で未認定患者に補償金を支給し、水俣病の最終決着を検討した。支給基準は、①1995年の村山連立政権の政治決着時の救済対象に準じる患者。②それ以外の人に区分けする。という新救済策の大枠を決めた。ただ、救済策の柱の一つとなる一時金の支給水準は1995年の260万円を下回る。 一時金の費用負担者チッソが新たな負担に難色を示していることから、自民党は参院選後にも水俣問題小委員会内にチームをつくり、チッソに対する公的支援や経営形態などを検討する。1995年には、手足の感覚障害を主な救済要件として、医療費と療養手当を支給する「医療手帳」と一時金260万円を交付。未認定患者約一万千人が救済された。 与党は、当時の関係者の“苦渋の決断”を尊重し、この時との整合性を重視。救済要件を当時満たしていたにもかかわらず何らかの理由で救済から漏れた人たちを「1995年時の救済対象に準じる人」と位置付け、優先して救うべきとの認識で一致した。ただ、過去にさかのぼって救済要件を満たしていたという証明は事実上困難なため、過去の診断書や被害地域の居住歴、家族内の認定患者の有無などの疫学条件によって判定。間接的に推定する形になることから、一時金の支給額は1995年時より減額した水準を想定せざるを得ないとした。 それ以外の人も「広く救済」する考えから、救済対象に設定。しかし、「1995年時の救済対象に準じる人」が含まれる可能性は低いと判断し、一時金はさらに少額になるとしている。 2005年10月から受け付けている新保健手帳については、環境省がまとめた医師による対面調査で、交付要件の感覚障害がないにもかかわらず交付されたケースを示唆する結果が出た。このため新保健手帳の交付要件を見直す考えだ。                           熊本日日新聞2007年7月3日夕刊

自民党、一時金による最終決着案

水俣病未認定患者の自民党最終決着案

-------------------------------------------------------------------------------------------

1995年、村山政権は水俣病未認定患者10353人に2万6千円ずつ支給し、水俣病を終わらせようとした。しかし、不知火海沿岸の2万人が水俣湾として何らの補償も受けておらず、患者は政府を見切り、司法に救済を求め、連戦連勝した。最高裁判決で、環境行政の不作為が指摘された。このため、今回、自民党は、村山政権の半額以下、一人平均50~100万円で、水俣病を最終決着を図ることになった。しかし、今後の選挙次第では、この案が葬り去れる場合もある。以下、地元の新聞より。

-----------------------------------------------------------------------------------------

水俣病未認定患者の新救済策を検討する自民党水俣病問題プロジェクトチーム(園田博之座長)は2007年7月3日、水俣病の代表的症状である手足(四肢末しょう優位)の感覚障害がある人たちを「広く水俣病の被害者」と受け止めて救済対象とした。環境庁の認定基準を緩和する方針である。その上で未認定患者に補償金を支給し、水俣病の最終決着を検討した。

支給基準は、①1995年の村山連立政権の政治決着時の救済対象に準じる患者。②それ以外の人に区分けする

という新救済策の大枠を決めた。ただ、救済策の柱の一つとなる一時金の支給水準は1995年の260万円を下回る。

一時金の費用負担者チッソが新たな負担に難色を示していることから、自民党は参院選後にも水俣問題小委員会内にチームをつくり、チッソに対する公的支援や経営形態などを検討する。


1995年には、手足の感覚障害を主な救済要件として、医療費と療養手当を支給する「医療手帳」と一時金260万円を交付。未認定患者約一万千人が救済された。

与党は、当時の関係者の“苦渋の決断”を尊重し、この時との整合性を重視。救済要件を当時満たしていたにもかかわらず何らかの理由で救済から漏れた人たちを「1995年時の救済対象に準じる人」と位置付け、優先して救うべきとの認識で一致した。


ただ、過去にさかのぼって救済要件を満たしていたという証明は事実上困難なため、過去の診断書や被害地域の居住歴、家族内の認定患者の有無などの疫学条件によって判定。間接的に推定する形になることから、一時金の支給額は1995年時より減額した水準を想定せざるを得ないとした。

それ以外の人も「広く救済」する考えから、救済対象に設定。しかし、「1995年時の救済対象に準じる人」が含まれる可能性は低いと判断し、一時金はさらに少額になるとしている。

2005年10月から受け付けている新保健手帳については、環境省がまとめた医師による対面調査で、交付要件の感覚障害がないにもかかわらず交付されたケースを示唆する結果が出た。このため新保健手帳の交付要件を見直す考えだ。

熊本日日新聞2007年7月3日夕刊

熊本水俣病の解決の機会

①1959年 チッソの見舞金契約(一人10万円)

②1973年 熊本地裁判決(患者勝訴)

③1977年 52年基準(水俣病認定審査の政府基準)

④1995年 村山内閣の最終政治決着(一人263万円)

⑤2004年 関西水俣病最高裁判決(一人800万円) 

最初のページ 水俣病百科 水俣病の現在  male

-------------------------------------------------------------------------

2007年5月16日(熊本日々新聞)

最高裁判決で水俣病の被害者だと認められたが、国や熊本県に公害健康被害補償法に基づく患者認定申請を棄却された大阪府豊中市の女性(81)が2007年5月16日、処分の取り消しを求め大阪地裁に提訴した。
最高裁は2004年10月の水俣病関西訴訟の判決で、国とは別の基準で幅広く被害を認めた二審大阪高裁判決を是認した。しかし、国はその後も基準を見直していない。関西訴訟の勝訴原告が国の基準の適否を裁判で争うのは初めてで、認定と合わせて基準是正も訴えていく構えである。
提訴後に女性の代理人弁護士三人が会見。「国の基準は被害者救済としては範囲が狭すぎる。適正かどうか、司法の場であらためて検証したい」とした上で、「最高裁判決の基準に改められれば、新たに1万人以上が救済されるのではないか」と話した。
訴状よると、この女性は水俣市に生まれ、1971年に兵庫県尼崎市に転居した。1978年9月に水俣病の認定を熊本県に申請したが1980年に棄却され、1981年10月、国の不服審査会に審査を求めた。
一方で、水俣病関西訴訟に加わり、1988年に提訴。最高裁判決で被害が認められたが、国の審査会への請求は2007年3月に退けられた。
水俣病関西訴訟は、関西に住む未認定患者が1982~1988年に国・熊本県・チッソに損害賠償を求め提訴。1955年の村山内閣による政治決着で水俣病関連訴訟の大半が取り下げられる中、関西水俣病訴訟は訴訟を取り下げず、2004年最高裁で患者側の勝訴が確定した。

27.水俣病公式確認から51年

Photo_77 2006年5月1日は、水俣病慰霊式が行われた。当時の小泉首相は欠席、小池環境大臣が出席した。

水俣公式確認から50年、その間に首相は一人も水俣に来なかった。最終政治決着をめざした村山富市首相さえも来なかった。水俣病認定患者への経済的負担が、チッソと政府に重くのしかかっている。水俣病患者認定を拒否する52年基準を守り続け、患者の自然減少を待つ政府の姿勢が明白である。

26.水俣病審査会審査委員

Photo_76 熊本県あるいは鹿児島県の水俣病審査会の審査により、公式に水俣病患者と認定されると、加害企業チッソ、政府、県から補償金、年金、医療費、葬儀費用などが支給される。この法的裏付けは、1969年の公害健康被害者補償法である。

水俣病認定審査会のメンバーは18人。そのうちの10人は医師、8人は法律・福祉・行政関係者などである。2004年の関西水俣病最高裁判決で、政府の52年基準が否定されたが、審査会は52年基準に従い、認定審査を続けている。大半の認定申請者は却下されるのが現実である。認定委員会の姿勢は認定不作為である。また、裁判所と審査会の認定基準の異なることは、二重基準そのものである。

月1回の審査会で審査できるのは10人。年に100人。3000人が認定審査申請中なので、30年はかかることになる。

裁判で勝訴した水俣病患者は、一時金を受け取ることはできるが、公式認定された水俣病患者ほどの優遇措置はない。裁判で認定された者は、認定審査会で公式認定された患者と同等には扱われていない。したがって30年待って棄却されるような審査会にも一応は認定申請している。水俣病認定審査会が政府の52年基準によらず、2004年の最高裁関西水俣病判決を基準とする日の来るのを期待している。

25.水俣湾と不知火海

Photo_75

チッソ水俣工場から水俣湾にメチル水銀100トン以上が排水されたのは、1932~1958年。1万人が水俣病を発症した。汚染された水俣湾の埋立が進む一方、不十分ながらも水俣病患者の救済策は講じられた。

1958~1968年、チッソは水俣川河口から不知火海に排水先を変えた。チッソは八幡プールで工場排水を撹拌沈澱処理をしているから、不知火海にメチル水銀は排水されない、つまり、不知火海沿岸に水俣病患者は存在しない立場を守っている。チッソ・熊本県・政府は、不知火海沿岸の水俣病漁民に何の救済策も講じていない。

1995年の村山内閣の最終政治決着の時でさえ、不知火海沿岸には水俣病患者はいないとして、患者に一時金263万円は支給されなかった。

現実には、八幡プールで工場排水は撹拌沈澱処理されたが、不知火海に排出されるメチル水銀総量は減らず、不知火海の魚介類のメチル水銀汚染汚染は急激に進んだ。不知火海沿岸漁民2万人が水俣病を発症したのである。裁判による救済を求めている。

24.埋立後の水俣湾

91 水俣湾の埋立は1977年に開始、途中、海底のメチル水銀の拡散が問題になって一時中断したが、1990年に埋立が完成した。

総費用485億円うち、加害企業チッソの負担は306億円であった。チッソの経営状態が悪いため、熊本県を保証人とする借金で支払った。

不知火海沿岸の水俣病発症者数が2万人になった。しかし、チッソ、熊本県、政府は不知火海沿岸の水俣病は、水俣病と認めない立場を頑強に貫いた。八幡プールでメチル水銀は処理されていることが、その根拠であった。

23.埋立前の水俣湾

74

チッソは1932年~1958年に、百間堀から水俣湾にメチル水銀を100トン~150トン放出した。

水俣湾の水俣病発症をなくすため、水俣湾海底のメチル水銀を除去しなくてはならなかった。しかし、経済的技術的に困難であり、水俣湾の汚染水域を埋め立てることにした。地形図の水俣港水域部分が埋め立てられた(1977~90)。

チッソのメチル水銀は、1958年~1968年には、水俣川河口から不知火海に放出された。不知火海に排水されたメチル水銀の対策は、全く放置された。

22.水俣病患者の補償金

Photo_74

水俣病患者は、各県の水俣病審査会で認定されるのが、最も補償金額が大きい。しかし、認定審査会は、政府の52年基準による審査であり、1977年以降は大半が棄却されている。認定患者は他に、介護費(44900円)、マッサージ治療費(1回1000円、年25回まで)、香典10万円などがある。対象となる生存者は600人、死亡者は1600人。

一方、2004年の関西訴訟の一時金には弁護士費用が含まれ、患者の受取額は一時金の7~8割である。判決が国と県の責任を指摘したため、医療費は全額国・県の負担となった。月払いの医療手当はない。対象は51人。

1995年の村山内閣の政治決着では一時金260万円以外に、医療費全額が熊本県・政府の負担になった。対象は10353人。

 チッソの補償金と水俣病裁判の一覧

21.チッソの借金

Photo_73

チッソの経常利益は年10~20億円である。水俣病認定患者への支払いが年25億円であり、赤字経営が続いた。このためチッソに代わり、政府が負担肩代わりをしている。政府は、水俣病の認定基準を厳しくし(52年基準)、水俣病患者への支払い総額をおさえている。

村山内閣の政治決着費用317億円は当初、全額チッソが負担する予定であったが、チッソには負担が重すぎて経営が悪化した。翌年、チッソの負担が47億円に減額された。

水俣湾埋立費用485億円のうち、チッソの負担は306億円。全額金融機関からの借金で、催促なしのある時払いとなった。

チッソの借金は2000億円を越える。そのうち、政府と熊本県が肩代わりしている分が多い。チッソが政府、熊本県、金融機関にまじめに全額支払うと、最終的な支払い終了までは200年以上は要する。

政府、熊本県、チッソの水俣病関連費用は、負担の境界が曖昧である。チッソは水俣工場を分離独立させて別会社とする計画が進んでいるが、これは水俣病関連費用負担を、岡山工場や千葉工場に波及させないためである。

  現在のチッソ

20.不知火海漁民がチッソ提訴

062_2           
チッソの排水口が、1958年に水俣湾から不知火海に変更され、不知火海沿岸漁民2万人が水俣病を発症した。熊本県水俣病認定審査会では認定を棄却された。村山政権の政治決着でも無視されて補償金を得られなかった。
-------------------------------------------
不知火海沿岸水俣病患者が不知火患者会を結成し、1150人がチッソ・政府・熊本県の責任を追及、一人1000万円の国家賠償訴訟に踏み切った(2005年10月提訴時は原告876人)。
-------------------------------------------
チッソは請求時効として反論(2007年3月27日)。
1995年の村山内閣の政治決着の時に、水俣病の自覚症状がありながら、何も言わなかった。今になって、突然訴訟を起こし、巨額の請求をすることは、1955年から現在に至るまで権利を行使しないでいたことになる。賠償請求は時効である。
------------------------------------------
政府・与党は一時金支給で最終決着の考え
これまでの水俣病裁判で政府は連戦連敗。裁判を取り下げた者に、一時金を支給し、水俣病の完全最終決着を図る考えである。1955年の村山政権の政治決着と同じ方法である。患者数把握のため、2007年に患者へのアンケート調査を開始した。
検討中の補償金額は、訴訟取下げを条件に、自民党案で一人100万円、民主党案でも一人100万円であり、村山内閣の260万円には及ばない。不知火海患者会は、アンケートへの回答を拒否している。

19.関西水俣病訴訟

Tamaisi
水俣から、水俣病を隠し、あるいは発病前に関西に移住した、未認定水俣病患者51人に、2004年10月15日、最高裁は国と県の責任を認め、さらに政府の52年認定基準を否定する画期的判決を下した。
---------------------------------
2004年10月15日関西水俣病最高裁上告審判決(骨子)
① 国は1959年12月末には、チッソの工場排水について旧水質二法による規制制限を行使すべきであった。
② 国が60年1月以降、チッソの排水規制をせず水俣病被害を放置させたのは、著しく違法。
③ 熊本県も国と同様の認識を持ち、県漁業調整規則でチッソの排水規制をする義務があったが、それを怠った。
④ 国と県には、患者一人当たり450万円~850万円、患者51人に総額3億1950万円の賠償責任がある。
-----------------------------------------------
最高裁が水俣病と判断した根拠(52年基準の否定)
① 水俣湾周辺においてメチル水銀化合物により汚染された魚介類を多量に摂取していたことの証明がなされること。
または
② 次の3要件のいずれかに該当すること
・舌先の2点識別覚に異常のある者、および指先の2点識別覚に異常があって、頸椎狭窄などの影響がないと認められる者。
・家族内に認定患者がいて、四肢末梢優位の感覚障害がある者。
・すでに死亡し、2点識別覚の検査を受けていないときは、口周辺の感覚障害あるいは求心性視野狭窄があった者。
-----------------------------------------------
政府は52年認定基準を最高裁に否定されたが、政府は52年基準を改めず、2007年になっても認定審査会の基準になっている。
水俣病認定には、政府の52年認定基準と、裁判における認定基準の二つの認定基準が存在する。
-------------------------------------------
関西水俣病患者の診察治療にあたってきたのが阪南中央病院(大阪)である。最高裁の患者勝訴判決には、阪南中央病院の長年の治療実績が大きな役割を果たした。

18.村山政権による政治決着

Photo_71

1995年、社会党連立村山富市首相は神戸の震災、オウム真理教の無差別殺人の収拾に失敗した。失地回復のため水俣病の最終政治決着をめざした。未認定患者救済のため、厚生省と環境庁の「52年基準」を無視し、一時金を支給した。水俣病認定を求めて訴訟中の者は、訴訟を取り下げが条件であった。
●一時金260万円(水俣病患者10353人に一律支給)
▲医療手帳(医療費はタダ、医療手当として月2万円支給)
▲保健手帳(軽微な患者は医療費タダ。医療手当はない)

政府は、チッソが全額317億円を負担すると見込んでいたが、チッソは経営難を理由に47億円を負担、残りは政府負担になった。

17.水俣病認定の52年基準

Photo_66

1977年(昭和52年)環境庁保健部長名で、熊本・鹿児島・新潟各県の水俣病認定審査のための6基準が通知された。

①感覚障害、②運動失調、③平衡機能障害、④求心性視野狭窄、⑤中枢性眼科障害、⑥中枢性聴力障害。この6基準をすべて満たした者が水俣病と認定された。

①~⑥のすべての基準を満たす水俣病患者は少なく、多くの認定申請は却下された。認定1175名に対して、棄却11422名(2006年12月31日まで)となった。

52年基準は、関西水俣病訴訟最高裁判決(2004)で否定されたにもかかわらず、現在も政府は改めず、各都道府県の水俣病認定基準になっている。

水俣病の認定基準には、最高裁判例としての基準と、政府の52年基準の、2種類の基準が存在する。

16.ニセ患者

Photo_65 

水俣病患者の中には、補償金目当てのニセ患者が多い、と政府関係者が相次いで発言した。石原環境庁長官は1977年4月22日、胎児性水俣病患者藤吉美智子とその家族に謝罪した。石原慎太郎は1976年12月~1977年11月まで、福田内閣の環境庁長官をつとめた。

間もなく環境庁から水俣病認定審査会に、「水俣病認定基準」(55年基準)の通知があり、水俣病申請者の大半が棄却されることになった。

15.水俣病裁判

Saiban

水俣病患者138名が1969年6月にチッソ、国、熊本県の責任と損害賠償を求め、熊本地裁に提訴した。

1972年には患者自宅における出張尋問があった。1973年の地裁判決で、チッソは原告のうち45人に賠償金9億3700万円を支払え、との判決があった。

加害企業チッソの責任が認められたが、政府(厚生省)と行政(熊本県)の責任は問われなかった。水俣病患者もチッソも上告せず、この熊本地裁判決が確定した。

水俣病患者団体とチッソとの協定で、チッソの金銭的補償を受けるためには、「水俣病患者審査協議会」を改組した「熊本県水俣病審査会」の認定が必要になった。チッソは認定患者1175人に、慰謝料(1600万円~1800万円)、医療費(全額)、年金(月額68000円~173000円)を支給した。

熊本地裁判決の誤りは、国と熊本県の行政責任を否定したことである。患者の誤りは、弁護士抜きでチッソと交渉したため、政府の方針に隷属する「水俣病審査会」の存在に同意し、新たな患者認定を困難にしたことである。

14.水俣病発症メカニズム

Photo_58

水俣病発症の原因は熊本大学医学部で解明された。

1959年にチッソの排水からメチル水銀を発見した。

1960年にはメチル水銀を使ってマウスで水俣病を発症させた。

1961年にはチッソの排水をネコに食べさせて水俣病を発症させた。

1968年、チッソがアセトアルデヒドの製造中止し、その直後に厚生省が水俣病の原因をチッソのメチル水銀と確認した。当時、すでに水俣病患者総数は3万人と推定された。

13.不知火海に排水路変更

Photo_56

1958年9月、チッソはメチル水銀を海水で希釈し無害化するため、工場排水先を百間堀(水俣湾)から水俣川(不知火海)に変更した。

不知火海沿岸漁民の排水中止要求はあったが、1968年にアセトアルデヒドの製造をやめるまで、不知火海に大量のメチル水銀の排出を、水俣川河口に排水し、不知火海全域を汚染し続けた。

メチル水銀は希釈されずに魚介類で濃縮され、水俣病患者は拡大増加した。水俣病患者は水俣湾沿岸1万人に対し、不知火海沿岸では2万人を越えた。水俣湾から不知火海えの排水路変更はチッソの重大な判断ミスであったが、当時の化学工業の世界では、工場内で処理できない有毒物質は、海に捨てて希釈して無害化することが常識であった。

12.見舞金契約

Photo_60

1959年12月30日、チッソは水俣病患者に、金銭的解決を強制した。形式的和解であり、チッソ側が一方的に有利であった。和解に応じた者は精神的束縛を受けてチッソの責任を追求できず、水俣病提訴は、新潟水俣病提訴(1967)よりも、1年遅れた。

しかし、チッソから見舞金を受け取るためには、厚生省の「水俣病患者審査協議会」の認定を必要とした。患者認定制度は現在も熊本県、鹿児島県、新潟県に引き継がれて、各県の水俣病審査会となった。政府の方針(52年基準)に従って水俣病患者認定を棄却し、チッソの経営を救済する役割を果たしている。

11.胎児性水俣病

06_1

チッソ水俣工場でアセトアルデヒドが生産され、工場排水中にメチル水銀が含まれていた。妊娠中の母親がメチル水銀に汚染された魚介類を食べると、胎児までが水銀で汚染され、運動機能がマヒした。

水俣湾の海底にメチル水銀が堆積し、1958年にチッソが排水口を不知火海に変更しても、水俣湾の水俣病発症者は増え続け、1970年には1万人に達したと推定された。

水俣湾海底の100トン以上のメチル水銀の処理が、技術的・経済的に大きな問題になった。

10.百間堀

Photo_55               

チッソ水俣工場からのメチル水銀を含む排水は、百間堀を通って水俣湾に流れ出た。1932年から1958年までのメチル水銀の総量は100トン~150トンと推定される。百間堀港には、メチル水銀を含む大量のヘドロが堆積し、魚介類を汚染した。

チッソは1958年に水俣湾への排水をやめ、より広い不知火海に排水してメチル水銀の希釈、無害化をめざした。

9.チッソ水俣工場(1969年)

Photo_68 

チッソ水俣工場では、アセトアルデヒドを生産する過程で、有害なメチル水銀を排出した。工場技術者は、メチル水銀が海水で希釈され、無毒無害になると考えていた。これは高度経済成長期の化学工場では一般的な考えであった。

8.奇病

Modou22

茂道の漁民とその家族が、身体の痙攣、しびれ、視野狭窄など、のちに水俣病と呼ばれる病気で身体の自由を失った。茂道に水俣病が集中発生した。患者を冷たく見た者も水俣病を発症した。

都会に去る者、残ってのちに水俣病患者として公式認定を受ける者、認定を拒否される者など、茂道の集落は一時崩壊した。

7.茂道の異変

Modou 茂道は戸数120の漁業集落。1954年に湾内の魚類が生気を失い、手づかみで捕まえることができた。水鳥、カラスが集まり、水面に浮いた魚をエサとした。やがて水鳥、カラスが飛行中に落下したりした。ネコが全部死に、ネズミが異常繁殖した。

6.第1号患者3種類

Photo_70

1932年、水俣工場でアセトアルデヒドを生産、百間堀港(水俣湾)にメチル水銀を排出した。

後年の病院カルテ調査によると、1942年水俣市月の浦で水俣病患者が発生していた(推定第1号患者)。

1953年には女児が水俣病を発症し、水俣病第1号患者とみなされた。

1956年5月1日、チッソ付属病院から水俣保健所に奇病患者確認と連絡があり、これが水俣病公式確認患者第1号とされた。

2006年5月1日が公式確認から50年、水俣湾埋立地で慰霊祭が行われた。

5.朝鮮窒素肥料株式会社興南工場

Photo_47

野口遵は朝鮮総督府の経済支援を受け、北朝鮮興南に70万kwの水豊水力発電所を建設した。硫安の年産量は年50万トンを越え、日本に輸出した。硫安以外に火薬、爆薬も生産した。従業員総数45000人の、日本植民地では最大のコンビナートであった。1924年建設、1945年敗戦により接収された。

4.仙台市三居沢発電所

Photo_46

1882年、仙台市三居沢発電所が日本初の水力発電を開始した。1902年、チッソ創業者野口遵が、電気技師藤山常一とともにカーバイド製造を始めた。しかし、三居沢の水力発電では発電量が少ないという欠点があった。

1908年、野口遵は熊本県水俣に日本窒素肥料会社を設立した。1914年には工場排水による漁業被害に補償金を支払った。

3.不知火海

Photo_44

メチル水銀の汚染は、1958年に水俣湾から、不知火海に移った。メチル水銀の排出先が水俣湾から、水俣川河口に変わったからである。

水俣湾の水俣病患者は1万人で政治的経済的救済が進んだ。

しかし、不知火海沿岸の水俣病患者は、総数2万以上。患者数が多く、救済には経済的負担が大きい。国・県・チッソは不知火海沿岸に水俣病患者はいない立場であり、救済が遅れた。不知火海沿岸の水俣病患者は、行政による水俣病審査を棄却され、裁判に救済を求めている。同時に、国・県・チッソの責任を追及している。

チッソは、1995年の村山内閣の補償金すら受け取らなかった患者が、今になって裁判に持ち込んでも、すでに時効である。不知火海の水俣病患者にはチッソの賠償責任はない、との立場である。

2.水俣湾

Photo_45

九州新幹線を新水俣駅で下り、1両編成ワンマン運転の肥薩おれんじ線で、水俣駅に到着する。肥薩おれんじ線はかつての鹿児島本線である。チッソ水俣工場は水俣駅前にある。

1.恋路島

Photo_57

水俣病はメチル水銀による中枢神経系の破壊である。進行性の運動障害、感覚障害が大きな特徴である。熊本県チッソ水俣工場から排出されたメチル水銀が水俣湾、不知火海の魚介類を汚染した。沿岸の3万人以上が水俣病が発症した。

新潟県阿賀野川河口では、上流の昭和電工鹿瀬工場から排出されたメチル水銀により、水俣病が発症した。

恋路島の南が水俣湾、北が不知火海である。1932年から水俣湾、1958年から不知火海がメチル水銀で汚染された。

最近のトラックバック

カテゴリー

最近の記事

最近のコメント

2011年4月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
Powered by Blogzine[ブログ人]